ミッドライフクライシスから 「後悔しない私の人生」を構築する ライフコーチ / 爲定時 (TOKI TAMESADA)オフィシャルサイト

プロフィール

爲定時(ためさだ とき) PROFILE

 

 

PERSONAL HISTORY

経歴:

1992年生まれ、兵庫県芦屋市出身

大阪府在住

2008年

芦屋市立精道中学校卒業後

宝塚音楽学校へ96期生として入学

同時に、学校法人早稲田大阪学園 向陽台高等学校入学

 

2010年

宝塚歌劇団入団 月組 娘役「叶羽時」として活動

学校法人早稲田大阪学園 向陽台高等学校卒業

2019年12月28日

宝塚歌劇団退団

約10年の宝塚人生で、新人公演ヒロイン・メインキャストを6作品・ショー作品のヒロインパートを5作品務める

その他、多数のメディアにも出演

TBS「オールスター感謝祭 秋」/TOKYO MX「宝塚カフェブレイク」出演

サンケイスポーツ「お宝ヅカ図鑑」/情報誌「ウィズたからづか」/東京新聞「華タカラヅカ」インタビュー掲載

退団時にはタカラヅカ・スカイステージにて、インタビュー番組「Memories of 叶羽時」が放送される


 

一見、順風満帆に見えるも
「自分の人生をどう生きるか」模索し続けた宝塚人生でした

 

 

2020年1月13 

起業

ヘアメイクの美容レッスンと、セルフコーチングのセミナーを行う

3月14日 

私発見オンラインサロン®を開設

10月4日 

セルフコーチングスクール「私」を生きるスクール®開校

 

2022年11月24日
フェアトレードブランド「Ahlam」を立ち上げる

 

 

 

”自分の人生を愛せる人を増やす!”と決意した
物語を、ご覧ください





自分の人生を愛せるようになって得られたこと

  • 尊敬する大好きな夫と出会えた
  • 宝塚卒業して、すぐ起業できた
  • 国際協力につながるフェアトレードブランドを立ち上げた
  • スムーズに結果が出せて、幸せに仕事ができている。仕事は生きがい♪
  • 向上心をお持ちで、優しくて、笑顔が素敵なお客様に恵まれている
  • 苦しい過去の経験が「無くてはならなかったもの」として宝物になっている

 

 

 

 

 

My History 

時という名前は本名です。

両親が「時を刻む人」「自分の時を歩んで欲しい」

という意味で名付けてくれました。

 

なかなかプレッシャーの大きい名前です…(笑)

 

 

 

濃厚濃密な(笑)

濃い時間を過ごしたタカラジェンヌ時代で

一番の思い出は「人生」について深く学んだことでした。

 

その学びを生かして現在は...

「自分の人生を愛する人」を増やす活動をしています。

 

 

 

宝塚に入るまで

 

物心がついた時から

歌って踊って、表現することが大好きだった私。

 

安室奈美恵さんや、SPEEDの歌詞と振り付けを完全にコピーして

頼まれてもいないのに、披露していました。笑

 

 

家族は拍手して褒めてくれたり、

保育園のお友達は「もっとやって!」と絶賛してくれたり...

 

自分の好きなことをやって

人を楽しませて喜ばせることもできる!

 

思い返せば、この時から「好きなことで生きていく」ということに目覚めていました。

 

そして、人を喜ばせられるんだ!と言う自信もついて

自己価値が劇的に高い女の子でした!笑

 

 

3歳の時にタップダンスを始めて...

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

そこからジャズダンス、バレエ、ピアノ…

そして、小6の時に宝塚音楽学校附属「宝塚コドモアテネ」に通い始めます。

 

 

我ながら驚くのが、コドモアテネに入学した時には宝塚に興味がなかったこと!

勿論、周りの子達は宝塚ファンや、宝塚を志している子ばかりでした。

 

 

私は、もっともっと色んなジャンルを知って「表現」を深掘りしてみたい。

「好き」を深めてみたい!幅を広げてみたい!

 

ただ、それだけでした。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

(保育所のとき。隙あらばずーっと踊っていました)

 

 

夏休みに一回観てみよう!という感覚で、月組公演「飛鳥夕映え」「タカラヅカ絢爛Ⅱ」を母と姉と観劇しました。

 

 

一部のお芝居「飛鳥夕映え」の途中で当時のトップスターの娘役さんが相手役のことを想って一人、泣き崩れる場面がありました。

それを観た瞬間に、激しく感動しました。

 

 

「こんなに美しく泣き崩れる生き物がこの世にいたのか!?」

そして、観劇している私まで感情移入して涙が溢れそうになったのです。

 

自分でも、初めての感覚で驚いたものです…。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

 

そして、人生を大きく変える感情が芽生えました。

「このお姫様になりたい!!」

この日の感動が、宝塚の娘役になりたい!と本気で志すきっかけとなりました。

 

 

そこから、私の「表現を深掘りしたい」が

「表現を仕事にしたい。好きなことを仕事にしたい」に変わります。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

それからというもの...

趣味のレッスンが、「本気のレッスン」に変わりました。

 

宝塚音楽学校受験の為の受験スクールへ通いました。

音楽学校の先生が開かれている教室にも通い続けました。

 

 

小6の頃から、放課後もお友達と遊ぶ時間をなくして

「好きなことで生きていく」「あの宝塚のお姫様になりたい」

この気持ちにまっしぐらに進んでいました。

 

 

中3の初受験まで、放課後はレッスンのはしごでした。

土日は朝9時から夜の22時まで。

 

 

放課後に学校の宿題をする時間をなくすために、お昼休憩や授業の合間に全て終わらせたり、

中学の卒業式は、宝塚受験スクールでの模擬試験の日だったので卒業式にも出席しなかったり…。

 

こうして言葉にしていると

「まあ、大変な学生時代だったのね」なんて思ったりもします。

 

だけど、当時の私は幸せでたまりませんでした。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

お友達と遊べなくても、卒業式に出席できなくても

卒業式よりも、もっと思い出深くて掛け替えのない時間を過ごせていたからです。

 

 

授業の合間の休憩も、お弁当の時間も、宿題を終わらすために大忙しだけど、放課後の「自分の好きな世界」の為なら、全然平気。

当時から「好き」の威力を、既に知ることができました。

 

 

一生懸命になれる「夢」や「目標」さえあれば
それが生きがいになって、毎日が楽しくなる!

そんな大切なことに気づけたのは、ありがたい経験でした。

 

 

 

 

 

 

勿論、夢を追いかける過程で悔しくて、落ち込んだこともありました。

 

 

 

 

 

小5の時に見つかった脊椎側湾症に悩まされました。

成長期に背骨がS字に捻れながら、曲がってしまう病気です。

原因も解明されておらず、根本から改善できる方法は未だに謎です。

 

人前に立とうとしている私が、見た目に支障のある病気。

 

当時お世話になっていた、かかりつけの医師には

「まぁ、例え宝塚に入れたとしても...ねぇ」と、遠回しに諦めなさい。と言われました。

 

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

 

背中の開いたドレスは着られるのかな。という不安。

そして、人よりも、怪我に気をつけなければいけなくなる。

さらに、みんなと同じ動きが出来ないこともある。

 

悔しさで、一杯になったこともありました。

 

 

それでも「夢」があるだけで

どんなに悔しくて、落ち込んでも

「どうすれば良くなるか」だけを考えて前向きでいられる。

 

改めて、生きがいと言えるものがあることの大切さを、感じました。

 

 

 

 

 

宝塚音楽学校時代

 

宝塚音楽学校は中3~高3まで4回受験資格はあるものの…

中3の一回に全てをかけていました。

 

「もうこれ以上、何をしたら良いのか分からないくらい稽古した」

心からそう思えるほど、全力を尽くしていたからです。

 

それでも、合格発表当日は怖かったです。

「1146」の自分の受験番号を見つけるまでは、何があったかよく覚えていません。

 

 

 

何よりも、記憶に残っていて一生忘れないと思うことは父親の涙を初めて見たことです。

 

今でこそ、歳なのか?ちょっとしたことで、よく涙を流す父ですが、当時は、父の涙をみたことはありませんでした。

その父が泣くほどの大きなことを達成したんだな。ここからが本物のスタートだな。

 

そう心底感じた、2008年3月30日でした。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

音楽学校入学当初の成績は40人中、36番。

 

有難いことに、受験生時代に行われる受験スクールでの模擬試験はいつも成績が1番だった私。

その、順位だけに執着した「見せかけの自信」が一瞬で崩れ落ちた瞬間でした。

 

自信とは外的要因で生まれるものと思い込んでいました。

 

見て判断できるもの(順位、人気...)だけが自分を信じられる材料だと思っていたので、しばらく、気持ちを立て直せずにいました。

 

 

 

だけど、その後、私の成績は試験のたびに

ちょっとずつ… ちょっとずつ…上がっていき、卒業時には15番になりました。

 

 

そうなれたのは「真実の自信」を手に入れることができたからでした。

 

 

私は、小さな時から大躍進できないタイプ。

ちょっとずつ地盤を固めて、確認して慎重に進んでいくタイプです。

 

 

毎朝、校門が開く前から待って朝6時半の開門とともに自主練習。

朝9時から授業があって、夜は他の教室へ個人レッスン。

音楽学校時代、この生活を繰り返しました。

 

今思えば、もっと効率よくお稽古できたのですが… 

当時の私には努力の仕方が1つしかありませんでした。

 

 

「時間をかけて丁寧に噛み砕くこと」

 

 

入学当初の36番は凹みましたが、卒業時にここまで上がれたのは

私が得意の「コツコツの最速」の頑張り方が、結果となって現れたからかと思っています。

 

何より嬉しかったのは、順位が上がった事実ではなく

「自分に信じられるもの」が見つかったことでした。

 

そして、そのおかげで、「順位が自信に繋がる」という私の思い込みが外れたことでした。

 

 

 

順位(数字)は、ただの情報であり、目安。

 

「真実の自信」に繋がるのは「挫けずにコツコツ諦めずに頑張った事実」

 

 

目に見える物ではなく、自分の経験から得た学びが自信に繋がる。

その気づきが何より嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

宝塚歌劇団入団

 

入団してからも相変わらず「コツコツの最速」で少しづつ努力しました。

 

しかし、歌劇団では学生とは違い、お客様にお見せするという責任が伴います。

そして、初日の幕が上るまでに仕上げなければなりません。

公演のお稽古中にはあまりにも、私の仕上がりが遅いので共演者や先生方を焦らし、叱られたことも何度もありました。

 

「コツコツの最速」は世の中では通用しない。
人と同じように頑張れない私は駄目だ。使えない人間だ。

 

 

そう自分を責め始めたことがきっかけで、どんどん自信を失っていきました。

 

そして

 

あんなに好きだった「表現して人を喜ばせること」が、苦痛になっていきます。

 

 

 

 

実際には、先生方も共演者の方も暖かく見守ってくださって、手取り足取り教えてくださっていました。

 

それなのに、自信がないことで、”出来ない人間だ””必要とされていない”と思い込んでしまっていました。

 

「嫌われている」という思い込みから人との関わりも避けるようになりました。

 

 

 

「自信もなく不満と不平ばかりの、私なんて誰も必要としていない」と思い続けました。

 

旅行や食事会の誘いをことごとく断るようになりました。

 

ちょっとこちらを見ながら、人が話している姿を見たら「また悪口を言われている」と言う被害妄想に陥るようになりました。

 

その結果

 

「何を考えているのか分からない子」

「一匹狼になりたがっている子」

「自立していると勘違いしている子」

「人と交わりたがらない子」

「自分一人で過ごしたがる我儘な子」

 

そんな誤解だらけの印象を沢山生み出してしまいました。

 

どれも、私の本当の気持ちとは違うのに…。

 

理解してもらえないのではなくて...理解してもらえる機会を、私自身がとことん潰していました。

 

 

 

 

そして、ついに舞台を休演することになりました。

 

心が病んで、注意散漫になり怪我をしました。

その怪我は今だから言えることですが、舞台には支障のない怪我でした。

「心が病んだので休演します」と言えず・・・怪我を理由に休演しました。

 

休演中は、自分の部屋から飛び降りてしまおうと思ったことが1度だけありました。

 

でも、車の上や植え込みなど、落ちる場所を助かる所に選んでいる自分に気がつきました。

 

 

「死のうとしてる可哀想な私に誰か気づいてほしい」そう思っているだけでした。

 

 

「こんなはずじゃない」

「私はこんな人じゃない」

「なんで、こうなってしまったのだろう」

 

そんな人生に絶望していた時。

 

 

 

 

 

入団5年目の夏でした。

宝塚歌劇100周年の時です。

 

式典や10年に一度の運動会など公演に加えて、イベントごとが多くて、毎日が目まぐるしく過ぎていく毎日でした。

初めてセリフも歌も沢山ある、大きなお役をいただきました。

 

 

 

 

 

 

当時の私は沢山あるセリフも覚えられない。

一人で歌を歌うことに緊張して、歌えない。

そして、演じるという事もわからない。

 

分からないことが、分からない様なとんでもない状態でした。

 

そんな私に当時、抜擢してくださった演出家の先生がポロッと一言。

衝撃的な言葉を仰ったのがきっかけでした。

 

 

「芝居って、要はお前の人生をどう生きるかや」

 

役名でもなく、芸名でもなく…

本名の私自身が、自分の人生をどう生きるか?を考えること。

それが芝居だと…。

 

そんなことは一切考えたことがなく、衝撃的でした。

 

 

それまで私は、ありのままの自分でいるなんて許されないと思っていました。

 

 

「ありのままの自分だと人を不快にさせてしまう」と思い込んでいつも、憧れの〇〇さんを真似して、自分を押し殺そうとしていました。

 

だけど、そうやって自分を押し殺していると毎日が苦痛で楽しさの欠片もありませんでした。

 

時間がただ過ぎていくのを待つ毎日でした。

 

 

 

 

そんな生活を繰り返していると自分にとって何が「幸せ」なのか分からなくなりました。

 

ゴールのない迷路をグルグル回っている感覚になっていました。

 

そして、楽しかったはずのことさえも楽しくなくなり…

毎日生きていることが苦痛になり始めていました。

 

叶羽時,プロフィール,宝塚,自分の人生を愛する女性を増やす,講師

 

家族も沢山手を差し伸べてくれました。

 

 

 

「朝が来るのが怖い」と言って身体中をつねって白目を剥きながら、頑なに寝ようとしなかった時期がありました。

そんな私に、暖かい紅茶を淹れてくれて、夜通し話を聞いてくれた母。

 

送り迎えをしてくれて、「怪我するなよ」と声をかけて

無事に稽古場へ入っていく姿を、毎日見守ってくれた父。

 

夜中にいきなり泣きながら電話しても

ゆっくり話を聞いてくれた、姉二人と姉の旦那さん。

 

今、こうして書きながらも、涙が溢れてくるくらいに家族の励ましは、とてつもなく、大きな愛情とパワーでした。

 

それでも、家族に心配をかけ過ぎてはいけない!

ファンの皆さんの夢を壊してはいけない。

 

 

いつも楽しそうにキラキラしよう!と、自分に殻を被せて踏ん張っていました。

「私」を押し殺して、「私」を生きられていませんでした。

 

 

 

 

 

 

過去の私をどうやって変えたか

 

演出家の先生に言われた一言。

 

「芝居って、要はお前の人生をどう生きるかや」

 

役名でもなく、芸名でもなく…

本名の私自身が、自分の人生をどう生きるか?を考えること。

それが芝居だと…。

 

その意味を理解するために

私は「自分の人生を生きる方法」を学びたいと思いました。

 

 

 

 

カラーセラピーやパワーストーン、オーラソーマを始めてみたりしました。

色んな分野の本を読み漁ったり、カフェや電車、街中で人間観察をしたりしました。

 

尊敬する先輩の思考をモデリングしてみたり、演じる役から学ぶことも多かったです。

 

 

とにかく「人」を見つめ続けました。

 

 

 

また、人生に起こった出来事に、丁寧に意味づけをしていくことを始めました。

 

自分自身に逆境がやってきた時も、ただ、一喜一憂して終わることをやめて

逆境の中に隠されている意味をみつけ、自分の糧にするようにしました。

 

 

こうして、自分の奥深くに入り込んでいく感覚で「自分の心の問題解決」にも、取り組むようになりました。

自問自答が趣味のようになりました。

 

 

 

 

そうすると

 

過去の辛かった経験が、今の自分を支えてくれていたことに気付けたり…。

短所が実は、長所を支えてくれていたことに気付けたり…。

 

「知らなかった自分」に出会えることが増えました。

優しい自分、情熱的な自分、誠実な自分…

 

 

このセルフコーチング法を続けることで

 

「自分の生き方が好き!」「私は何があっても大丈夫!

自分を信頼できるようになりました。

 

 

 

 

こうして、丁寧に生きることで

失った、自信と自己価値を少しづつ取り戻していきました。

 

 

 

そして、「人生と向き合うことが好き」

「人生をより良くするための解決方法を探すことが楽しい」と感じ始めました。

 

何より、過去、現在、未来の自分の人生の全てが好きになりました。

自分の人生を心から愛おしく思えました。

 

 

 

すっかり「人生オタク」となってしまいました!!

 

 

 

 

そして、あの時、演出家の先生に言われた通り、自分の人生と向き合うことで自分自身の芸が上達したのです!

 

お芝居も、歌も、踊りも全てです。

 

 

 

その結果、ヒロインを頂ける様になりました。

新聞や誌面にもインタビューを載せてもらえるようにもなりました。

憧れのテレビ番組にも出演が叶いました。

大勢を従えてソロで踊り歌う場面ももらえる様になりました。

 

 

何より進歩したのは「表現する喜び」を取り戻したこと。

 

 

演じる。歌う。踊る。

表現することがこんなに好きだった!

 

また、心からそう思える日々を取り戻しました。

 

 

 

生き方に自信を持てるようになると、自分が求める幸せもベストなタイミングで舞い込んできました。

 

その事実に感動し、どんどん「人生の学び」を深めていきました。

 

 

 

 

 

「私」を生きられるようになって得られたもの

 

自分の生き方に自信を持てるようになりました。

そして、「私は大丈夫!」と自分を信頼する力も。

 

 

「幸せになる!」と決意さえすれば、言動が変わり人生は好転する!

自分自身の経験から、そう確信を得られました。

 

 

卒業してすぐに起業できました。

こんなに大好きなお客様に囲まれ、幸せに働けるのも「何のために働くのか?」価値観を理解できているからです。

 

そして、大切な自分の家族が増えました。

志が高くて、いつも優しさを忘れない、夫。

こんなに尊敬できる夫と結婚できたことは「自分の人生」と、諦めず向き合ってきたご褒美だと思っています。

 

更に、フェアトレードブランドを作ることができました。

宝塚時代から作品に取り上げられている歴史を勉強するたびに、悶々とした気持ちと、怒りを感じていました。

「人類はなぜ戦い続けるのだろう?なんで、誰も幸せにならない戦争をするのだろう?」と言うことです。

だから、いつか戦争で傷ついた国の復興に協力したい!と思ってきました。

それを形にでき、私の使命を見つけることができました。

 

 

 

 

 

自分の人生を愛せる人を増やす!

 

自分自身が、こんなにも人生が好転し続けていること。

そして、出会ったお客様が、より幸せな人生に向かって前進していること。

 

「幸せになる!」と決心することで、言動が変わり人生は必ず変えられる!

そう信じています。

 

 

 

私が、最もお伝えしたいことです。

 

本当の、幸せとは...『自分の人生を愛せること』

 

自分の生き方に愛を感じられるほど、人生に納得できる人を増やしたいです。

 

1人1人がそう生きることで、人と戦うこともなくなり世界は平和に近づいていく。と思っています。

 

 

 

 

 

 

最後に私が「人生に絶望」していた当時。

心から感銘を受けて救われた一生のバイブル。

 

「夜と霧」の著者

ヴィクトールフランクルの言葉を贈ります。

 

“あなたが人生に絶望することはあっても、人生があなたに絶望することはない”

 

”そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。

我々は人生に問われている立場であり、

我々が人生の答えを出さなければならないのです。”

 

“それでも人生にイエスという”